「アイ(子ども)たちの学校(ハッキョ)」という映画

2019年3月19日 / お知らせ

 3月9日(土)、大津市の教育会館で行われた在外教の総会で、滋賀朝鮮初級学校の鄭想根校長先生から「こんな映画があるねんけど、見に行く?」と教えてもらった。もちろん見たいと思い、前売り券を購入して、3月15日(金)の午後、京都シネマに出かけた。平日だったけどロビーには、13時40分の上映を待っている、結構な人たちがいた。私のチケットには、40という数字、40番目に受付をしたということ。それからも、ロビーに集まる人たちがいた。

映画のチラシには、「100年の差別=その闘いの記憶=朝鮮学校の歴史と現状を描く初の長編ドキュメンタリー」と記されている。その裏面には、【100年にわたって続けられてきた差別の歴史。在日朝鮮人は、アイ(子ども)たちの夢を育むために、幼稚園から大学にいたる世界にもたぐい稀な民族教育事業を行ってきた。しかしいま、ウリハッキョ(朝鮮学校)は、厳しい逆風を受けている。2010年、政府は高校無償化制度からウリハッキョを除外し、地方自治体も次々と補助金を打ち切ってきた。ウリハッキョは裁判闘争に立ち上がった。その闘いは、すべての外国人の子どもたちの教育権に連なり、多民族多文化共生の時代を切り開いていく。知られざる歴史的資料や証言を発掘し、ウリハッキョの差別と闘いの真実を浮き彫りにする初の長編ドキュメンタリー。】と記されている。

知らないことがたくさんあった。それは絶対に、知らなくていいことではない。知らなければならないこと、だった。被差別部落出身の自分は、小学生の頃から、部落差別の不当性を教えられて育ってきた。そのなかで、「部落差別のことが理解できればおのずとその他の差別問題も理解できる」、そう誰かが言っていた。部落差別を学べばほかの問題にも応用が利く、と。でも、それはちがうと思っている。そんなはずはない。この映画をみて、果たしてそんなことが言えるだろうか?そんなことはない、応用ではなく、ちゃんと知らなければわからない。この映画はそれを改めて教えてくれた気がした。

ナビゲーターとして、大阪朝鮮学校の生徒が語ってくれた言葉があった。「差別は差別を生むのです。それしか生み出さない。この世に差別されるべき人間は一人もいません。」                       在日コリアンの子どもたちが、「ウリハッキョ(私たちの学校)と親しみと愛しみを込めて呼ぶ学校。自分たちの言葉と文化を学ぶ学校。それぞれのアイデンティティを確かめ合える場所。その学校ができた歴史的な経緯を知ってこそ、現在を考えることができると感じている。過去は変えることができないけれど、過去を知らなければ今を語れない。「過去と今を学ぶことができるこの映画を一人でも多くの日本人に観てもらいたい。共に未来を生きるものとして。」元文部科学事務次官の前川喜平さんが語った言葉。まさしくその通りだと実感した。

 

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