「滋賀県人権教育研究会=生徒の想いに学ぶ=」で想いを伝える

2019年2月1日 / お知らせ

1月25日(金)午後1時30分から、滋賀県人権センター・光荘で滋賀県人権教育研究会高校連協主催の研究協議会が行われました。協議会タイトルは【生徒一人ひとりの「進路保障」をめざして~生徒の想いに学ぶpart23~】。     滋人教高校連協では、23年前から高校生等の想いを直接聴くことをとおして、受けとめた内容をどのように実践につなげていくのかを先生たちが考え、協議しています。報告というか話題提供というか、どちらにしても先生たちの前で高校生が話をするわけなので、本人たちはメチャクチャ緊張するとは思うのですが、毎年3名から5名の高校生や大学生がそれぞれの想いを率直に語ってくれます。

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そして、その内容もさまざまです。今回は3名の人がメッセージを伝えてくれました。その中の一人に、今から6年前「ヒューマンネット滋賀」に相談をもちかけてくれた彼がいました。初めて出会ったのは彼が中学1年生の秋でした。お母さんの後ろから恥ずかしそうな笑顔でちょこんとお辞儀をしてくれた彼の表情を今でもよく覚えてます。お母さんは、彼がいじめられていることを私たちに話してくれました。その内容はとてもひどいものでした。特定の友だちからのいじめが日常的に繰り返されること、先生や学校は、なにもしてくれない。こんな状況でこのこを学校行かせるわけにはいかない、お母さんの想いはとても切実で緊迫していました。私たちは事実確認をするとともに、何よりもそんな日常から彼を救うこと、その一点で動いていきました。やがて彼は祖母の住む町の中学校に転校することができました。でも、そこでも友だちや教師の心無い言動により、彼はまた居場所をなくしていき、中学3年生から近くの特別支援学校に編入しました。いま彼は高校3年生、もうすぐ卒業を迎えようとしています。

今回の高校連協で、彼が話してくれた内容は、小学校時代から続いた【いじめ】についてです。彼は最初、「またあの時の嫌なことを思い出すから」と言っていたのですが、「けど僕のような人を出さないために、先生や学校が考えてくれるのならやってみたい」と話してくれました。彼が体験してきたこの現実をどう受け止めればいいのか、いや、子どもに向き合う大人たちが受け止めるべき現実であり、参加したものたちが真摯に向き合うべく現実だと感じました。緊張しながらでも懸命に自分の想いを伝えようとしている彼の表情に、初めて出会ったときのはにかんだ笑顔がかさなりました。これからを生きる彼がこれ以上不合理な現実にさらされないよう、いまここから自分にできることを一人ひとりが考えて見出していかなければ、そんなことを感じさせられました。彼が報告してくれた手記を紹介します。

 

『僕は学校がこわい』

 「僕は、知的障害です。自閉症もあります。僕には、難しすぎて、自分のことなのにわかりません。僕は、みんなと何が違うのか、僕にはわからない。今、僕を苦しめているのは、障害があることではなく、今まで受けてきた【いじめ】です。今僕は、養護学校に通っています。4年目で、もうすぐ卒業です。この学校に来るまでに、転校を2回しました。どこも【いじめ】が理由です。今の学校に来て4年、今は友だちも出来て話を聴いてくれる先生にも出会えました。でも、今でも学校がこわいです。教室に入ろうとすると、僕をいじめていた人の顔が見えて、「おまえ、何しに来たんや。おまえなんかこのクラスの仲間じゃない」と声が聞こえてきます。がんばって消そうとしてもどうしても消せません。今は、僕をいじめたりする人はいないのに、どんなにがんばってもその声は消せません。教室に入りたいのに、こわくてこわくて泣けてきそうになります。そんなとき、今はクラスの友だちが「おはよう」と声をかけてくれます。そうすると力が抜けて安心してやっと教室に入れます。毎日それの繰り返しです。でもどうしても入れなくて、そのまま保健室に行くときもあります保健室で先生と話をして落ち着いたら教室に入ります。僕だけ、なんでこんなんやろうと思うとイライラして先生や物にあたってしまったこともある。今の担任の先生は、そんな僕のことをわかってくれて、「そんなときもあるよな」と言って、壊してしまったものを一緒に直してくれた。なんで、僕はいつもこうなんやろと、また泣けてくる。僕は、わがままなんかと思ったり、僕は、おかしいんかなと本当に苦しくて、悲しくていやになる。ちゃんとしたいのに、前のことなんか忘れたいのに、どうしても忘れられない、消せない。小学校5年生の時、本当のいじめが始まりました。僕より身体が大きな子、3人に囲まれて、傘でカバンをバンバンたたかれました。教壇の中にとじこめられたこともあります。先生は、目の前で見ていました。笑いながら「やめたって(笑)!」と言っただけで助けてはくれませんでした。一番悲しく思ったのは、小学校1年生の時、僕が描いた絵を先生がみんなに見せながら「こんな汚い絵は書いてはいけません。」みんなの前でそう言いました。僕の絵は汚いんや、それから6年生になるまで絵を描くことができなくなった。このことは、6年生になるまでお母さんには言えなかった。お母さんが悲しむから言えなかった。中学校に入って、いじめはどんどんひどくなった。体育の時間がいちばん嫌だった。仲間に入れてもらえなかった。名前もなくなった。「〇〇ちゃん、〇〇くん」って呼んでくれていたみんなが、中学校に入ってからは「ガイジ」「ガイジのくせに生意気や」。僕には意味が分からなかった。あとで聞いたら障害児のことだった。いじめられていることを先生に伝えた。何回も伝えた。先生なら助けてくれると思った。でも助けてはくれなかった。「おまえの勘違いや」と言われた。誰も助けてくれなかった。僕の言うことは、誰も信用してくれなかった。でも僕はがんばった。いっぱいがんばった。がんばって、がんばって僕は疲れた。毎日泣いた。心がおなかいっぱいで、毎日おなかがいたくて、苦しかった。お母さんは、「もう学校へ行かんでいいよ」と言ってくれた。今もそのことを忘れることはできません。今話したことは、ほんの一部です。思い出したくないほどのいじめを僕は受けてきました。「僕は、いじめられるために生まれてきたん?」お母さんに何回も聞いたことがある。お母さんは、そんなことは絶対ない、と何回も何回も話してくれました。病院の先生も、何時間も話を聞いてくれます。今まで受けた傷は、全部消すことはできないけれど、一つずつでも減らしていこうね。ゆっくりでいいよ。あせらずいこうね」と言ってくれます。言われているときはわかっているけれど、イライラするときもあります。がんばろうとしても、がんばっているのに、もう一人の僕が、「お前は、ぜんぜんがんばってない」と言ってじゃまをする。「逃げてばっかり」ともう一人の僕がいつも、いつもじゃまをする。僕は、いつまで苦しめばいいのかなぁ。今は楽しいこともいっぱいあるのに、心が苦しくなる。 大人でも、助けてくれる大人と助けてくれなかった大人がいる。同じ大人でも、なんでこんなに違うんかな。誰に聞いても困った顔をして聞いてくれない。誰か教えてください。」

 

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